『吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず・・・」って孔子さん言っていた。
それはさて置き、
この春に、彫刻家「はしもとみお」さんの彫刻ワークショップが京都市動物園で開催され、日ごろ宝くじにも陽の目にも当たらぬ私が応募してみたところ、ななななんと狭き20名の枠に見事当選し、彫刻ワークショップを受けることとなりました。
「はしもとみお」さんの作品はツイッターなどでも実際にも見たことがあったので、ワークショップに参加できることはとても嬉しく、貴重な体験でした。
テーマは「ネコ科の動物のおすわりポーズを作る」
日ごろ猫は公園などで見ていた気がするものの、いざ具体的に猫がどう座って、猫の足がどうなっているか。形にしようと思うとイメージが出来ず、それを木で彫ってみようとすると、どこを彫っていいのか、どこを彫ってはまずいのか、手も頭も困惑しました。「惑わず・・by孔子」
はしもとみおさんに「削り過ぎた場合はどうしたらよいのでしょうか」と聞いてみると、「削り過ぎるということはないんです」と。
「なぬっ、そんなことがあるのかしら」と思うものの、その言葉には強く深い説得力がありました。
「彫刻は発掘作業みたいなもの」と聞いたことがあります。木の中に見える動物を発掘していく。
私は木の中におすわり猫を見つけようとしましたが、猫はどこかへいったのか全く見えず、手が止まり、楠のいい匂いを嗅いだりしていました。2名の先生が周りながら見てくれる中で、色々アドバイスをもらい手助けなどしてもらいながら、最終的に何とか時間内で色付けまで終えられたのでした。
この体験は本当に貴重で楽しかったです、が、全っ然出来ない自分も発掘しました。
彫刻刀を入れるのに迷う気持ちがあっては進まない。でも私はここでいいのかな、ここ削って失敗したらどうしよう、っていちいち迷うから。迷っちゃうから。
私はもう一度チャレンジしようと思い、この気持ちだけは迷わず進めと、ヤフオクで端材の楠をポチッと買いました。何かどこかで作る機会を持って、再チャレンジしたいと思います。
はしもとみおさんの作品は本当に素晴らしい。生きてるように凛々しく美しい動物たちがそこに存在し触ることが出来て、毛並みは木の目と沿って、撫でると手に馴染む心地よさがありました。